家の土台の跡に手向けられた花束 |
橋げただけが残る |
現地を視察する一行 |
田んぼに打ち上げられた漁船 |
車窓にうつる光景を見ながら、長崎大学病院の河野茂病院長はしばらく言葉を失った。
6月26日、南相馬市立総合病院の金澤幸夫院長の案内で津波の被災地域を視察した。
荒野を突き抜ける一本道を海に向かった。山積していたがれきは4月に比べて片付けられていた。泥で覆われていた大地には雑草が生え始め、うっすらと青く色づく。道端には一輪のタンポポが花を咲かせ、力強く大地に根付いていた。辺りを見渡せば、家の土台だけが並ぶ。脇には鮮やかな花が手向けられていた。火力発電所近くを車で巡ると、橋げただけが無惨に残る。ここはあの日のまま、時間が止まっていた。
国道6号沿いを走ると、船底を空に向けたボートや漁船が田んぼの真ん中に30隻以上も点在していた。持ち主が動かさない限り、そのままだという。「あまりに理不尽なことが多い」と金澤院長は悲しげな表情で話した。「個人で撤去するのはまず無理。なぜ撤去にかかる費用や作業を行政や国が担えないのか」。河野病院長は語気を強める。
放射線の“被害”だけでなく、津波の大被害に遭い助けを必要としている福島県。「宮城や岩手の津波被害はテレビでよく見る一方で、これほど福島県がひどいとは…。派遣した先生たちの報告を聞いていたが、現地がこんなに悲惨だったとは思いもしなかった」。河野病院長は国にも国民にも状況がうまく伝わらない現実を憂いた。