2016年4月28日木曜日

車中泊の現状 

  地鳴りという言葉をあらためて思い知った。地の底からドーンと突き上げる音は落雷の音に似ている。未明から何度となくそんなことを思いながら寝袋の中にい た。本院第一陣は熊本大学病院の厚意で会議室を借り、宿泊施設にした。私は天井を見上げながら、就寝中に建物内にいる恐怖や不安に思いを巡らせていた。

  21日夜開かれた自治体や医師会などの関係者会議。今回の地震で課題の一つとされたのが車中泊の多さである。住民たちは自宅は壊れていないにしても、いつ 倒壊するか分からない恐怖を抱えている。夜になると、大型イベント施設や空き地、学校のグラウンドに車が所狭しと並ぶという。昼間は仕事などで外に行き、 夜になると車で寝泊まりをする、そんな避難生活を余儀なくされている。


 会議ではそういう人たちの医療ニーズをどう把握するかも焦点だった。ちょうど報道によって急性肺血栓塞栓症、いわゆるエコノ ミークラス症候群が注目され、その予防が急がれていた。現地のラジオの情報では予防のためのストッキング配布など、自治体の動きがみられ、エコー検査の導入なども検討された。

   「ここは夜になれば車が集まってくる」。キャンプカーで家族とともに生活している女性がこう話した。がらんとした空き地は私有地だが、震災後、多くの車 が道路にあふれたため、敷地を開放したそうだ。「もう夜は家で寝れない。怖くて」。女性の自宅もかろうじて倒壊を免れたが、部屋の中は家具が倒れて散乱し ているとい う。「もうどうしたらいいのか」と遠くを見つめた。

 こうした車中泊生活で一番困っているのはトイ レ。目の前にはコンビニエンスストアやホームセンターがある。しかし、下水が流れないために貸してもらえないという。車で約10分離れた病院まで向かうそうだ。この日、自衛隊の車両が空き地にやってきた。トイレ3基を設置するために。地震からちょうど1週間だった。






看護師チーム 避難所を巡回

 第1陣で派遣された看護師2人は22日午後から、避難所の医療ニーズ調査へ出かけた。慣れない熊本市内の道をナビを頼りに運転。四カ所を巡回するため、一カ所に時間は掛けられない。「1カ所20分ぐらいだね」と足早に避難所となっている高校の体育館へと向かった。

  この日は快晴だった。避難所内を見渡せば、ポツポツと人がいるだけ。避難所の管理を担当する市職員の話によると、天気のよい日はほとんどの人たちが自宅に 帰って片づけをしているという。避難所周辺のアパートでは大きなゴミを出す姿をよく見かけた。二人は避難所のトイレの使用状況なども視察してつぶさに記 録、アルコールが置かれていない状況などを確認した。


 「お体はいかがですか?」。看護師の 大山祐介さんが布団の上に横たわる女性に声を掛けると、女性はそのままの状態で「リウマチが痛むんですよ」と話し始めた。親身に聞き入っていると、女性は 静かに身を起こして地震のときの話を始めた。もう一人の看護師、梁瀬由紀子さんは高齢の男性に歩み寄り、ゆっくりと大きな声で話し掛けていた。この男性は 避難所であっても、朝起きるといつもと変わらぬ、これまでの通り、きちんと身支度を整えるという。

  避難所中央には、おむつや粉ミルクなどの生活用品が置かれていた。一人の女性がその管理を任されている。地震以降、この体育館で避難生活を送っているそうだ。数年前に高齢の母を看取ってからずっと独り暮らしだった女性は地震のときも自宅に一人でいた。
  「ここで皆さんのお世話をしていたら気が紛れるんですよ」。目にうっすらと涙を浮かべて 「本当に感謝している。私は恵まれてますよ」と口元を押さえて話をしてくれた。

  体育館を出ると、ジャージに身を包んだ高校生5人が自転車に腰かけておしゃべりをしていた。この高校に通う部活動の仲間らしく、校内の片付けにきたとい う。「明日から炊き出しを手伝います」と元気よく話した。そう彼ら自身も自宅が被災している。自宅に帰ることはできても家具や電化製品で散乱した状態だそ うだ。別れ際、ある男子高校生がこう言った。「僕たちが元気を出さないといけないですよね」。力強いまなざしが印象に残った。



2016年4月27日水曜日

石垣が崩落 名城熊本城


  熊本市内の中心には名城、熊本城がある。今から400年以上も前、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて、築城の名手といわれた加藤清正がもともとあった平山城を改築した。城の石垣は中世城郭の特徴と美観を残し、街のシンボルとなっていた。

 目の前に広がる光景は衝撃的だった。美しい反りを持つ石垣は無残に崩落。石垣中のぐり石が流出して、大神宮の屋根を押しつぶしていた。余震が続く中、さらなる崩壊が懸念されている。


 周辺を見渡せば、道路に入った亀裂、ゆがんだ建物が目につく。被災した街は路面電車も走り、車も人も行き交う。日常を取り戻したかのように見える街だが、どこかに緊張感が漂う。
  乱世にあって荒れ果てたこの土地を豊かに復興させた加藤清正の精神を受け継いでほしいと願う。
 

避難所の医療ニーズを探る

 長崎大学病院の医療支援チーム第一陣は、熊本市役所に設けられた「熊本市保健医療救護調整本部」で避難所情報のとりまとめを担った。刻々と変化していく医療ニーズを的確につかむため、指定されていない避難所の把握や避難所での聞き取り調査が求められた。

  第一陣リーダーの山下和範医師は、本部責任者の一人として関わった。救護班から寄せられた避難所の情報を手際よく まとめて分析する重要な任務である。これまでDMATとして災害医療に関わってきたスキルがあるからこそ、白羽の矢が立った。

  アセスメントシートの表記を統一し、全国から集まったDMATチームヘエリアを振り分けて調査を指示。調査後の情報をパソコンに打ち込んでいく。それから分析作業に入るが、ディスカッションも含めると、作業は夜9時まで及んだ。

 私たちの滞在中、全国から次々と集まる救護班約10~15チームが手分けして、約80カ所の避難所を巡回。約1日半掛けて避難 所の問題点を洗い出し、情報を整理した。地区ごとに色分けされ、一枚の「シート」になった。情報は今後の支援活動につなげられる。



市役所のロビーは避難所に

 私たちが熊本入りした平成28年4月21日、熊本市役所ロビーには多くの避難者があふれていた。床に毛布を敷いて横たわる高齢者の姿が方々に見られた。「昼食を配ります ので、正面玄関前にお並びください」。正午になると、アナウンスが館内に流れた。たちまち列ができ、食糧を配給された人はラップに包まれたおにぎり一個と飲み物を抱えて、それぞれの場所へと足早に戻っていった。

 建物前に止まった給水車は平戸市からやってきていた。3日交代で給水車を配備しているという。時間の経過とともに提供する水の量も少しずつ減ってきているそうだ。徐々に水道が復旧していることを物語る。






 











2016年4月21日木曜日

長崎大学病院 医療支援チーム第一陣出発

21日午前5時半、長崎大学病院の医療支援チーム第一陣が熊本に向けて出発した。メンバーは医師1人、看護師2人、薬剤師1人、事務1人の計5人。長崎県の要請を受けて、一昨日に編成した。

午前7時、長崎県の多比良港を出港。フェリーで熊本入りした。熊本は雨。警報も出ていた。車内のラジオでは大雨に伴う避難勧告が流れている。メンバーに緊張が走る。

これから熊本県庁に向かい、支援先が決まる。