2011年4月7日木曜日

現場の声が伝わらない 過酷な避難所生活

トイレに向かうお年寄り

玄関先に設置された仮設トイレ

ブルーシートだけが敷かれた教室
南相馬市の住民が入っている相馬市の避難所。約550人が入っている。津波で家が流された人、命からがら逃げてきた人が多い。廃校を使っているので、屋内では水道は使えず、唯一外にあるだけで、飲み水もその水を使っている。玄関先にある仮設トイレを利用するために、お年寄りは階段を上り下りしなければならない。そのため、水分補給を控えている人が多いという。各部屋にはブルーシートが敷かれただけ。少し座っているだけで底冷えがしてくる。


カメラを抱えていると、「新聞記者か?この状況をみんなに知らせてくれ」と過酷な環境を伝えるよう、男性が近寄ってきた。


津波被害の様子は、岩手県などを中心にテレビに流れる。しかし福島県の津波被害の状況はテレビでも新聞でも見ることはほとんどない。福島第一原発30km圏内への立ち入りを報道機関も自粛している。津波被害の状況、医療従事者の不足、避難者の現在の過酷な生活、そして放射線による風評被害、と問題が山積し、この地域の声や窮状が伝わっていない。

避難所横にある体育館には段ボールが山積みになっている。それは相馬市の物資だという。南相馬市の人たちの手には渡らない。自治体の格差が生まれている。

男性はこう話した。「津波で何もかも流された。最初のころ、南相馬市からの配給は服が1人1枚だけ。寒さもしのげないから、相馬市の方にも並んだんだ。そしたら、持ってけって相馬市の職員が5枚もたせてくれた…ありがたいな」。

食事の炊き出しには横浜からボランティアが入り、相馬市の高校生が手伝う光景も。現場では助け合う姿もある。

最後に、男性は目に涙を浮かべながらこう言った。「ここだけじゃないっぺ。ほかもこんなんだもんな」。単に「避難」というのは簡単だ。もう1カ月近く経とうとしている。国は現場の避難している人たちがどんな思いで、どんな生活をしているか、そして何を必要としているか、もっと耳を傾けてほしい。人道的にも強くそう思う。